ムカドワインズとは ABOUT MUKADO WINES

19世紀初頭から、Uzunashvili(ウズナッシュビリ)一家はAlexander Chavchavadze(アレキサンダー・チャフチャバス)家のワインメーカーとして知られています。Alexander Chavchavadzeは、ジョージア(グルジア)共和国が誇る卓越した人物であり、詩人、イノベイター、そして指導者としても有名です。また、現代のヨーロッパ文化を、いち早くジョージア(グルジア)のライフスタイルに取り入れた人でもあります。さらに、彼は偉大な起業家であり、熱烈的なワイン愛好家でもありました。自身が所有する土地をTsinandaliの自宅からAlazani川の右岸、Mukuzaniまで広げました。その場所はGombori山地による傾斜でワインを生産するのに最も適した温帯気候と地形を持っていたからです。そこは(黒海からカスピ海まで東西に走る)コーカサス山脈の一部でもありました。これらの土地、特にMukuzani(ムクザニ)の土壌はジョージア(グルジア)のワインを頂点に導いた大きな要因といえるでしょう。それはまさに、唯一無二の「大自然からの恵み」といえるのです。

ある時、ロシアの宗教的指導者であるImam Schamil(イマーム・シャミール)の支配下で、Alexander一族に悲劇が起こりました。家族を自由にするための身代金として所有する土地の権利をロシア帝国裁判所に従い手放すことになったのです。所有する土地がロシアの国有となり、それ以降、Chavchavadzeは、その土地でひっそりと暮らすことになりました。しかし、情熱だけは失わず、社会的な活動や仕事に熱心に打ち込みました。またも悲劇が来るまでは、、、。Tbilisi(トビリシ)通りで、興奮した馬が突然暴れ出し、制御が効かず、Alexander Chavchavadzeは生涯の幕を閉じました。

それから長い月日が過ぎ、絶えず時代は変わってもAlexander Chavchavadzeの土地は彼が生きている頃と変わらず、美しいままで当時の伝醸造技法はそのまま守られていました。Mukuzaniはやはり、ワインを生産する最高の場所だったのです。Uzunashvili一家のワインは国内に留まらず世界中にその名が知れ渡りました。この土地の名声はUzunashvili一家の働きにより再び知られることになったのです。20世紀初め、時のロシア皇帝ニコライ2世は「崇高で傑出したワインの造り手」としてUzunashvili一家にDiploma(称号)を与えました。それ以降、Uzunashvili 一家はMukuzaniで長きにわたってワインを生産し続けています。その他、多くの賞(Big Imperial Medallionや 100 golden coins)も与えられています。

(1917年)急転直下の出来事が起こりました。悪評高き「ロシア(ソビエト)革命」です。ロシアはグルジアを併合。Uzunashvili 一家はこれまで与えられた全ての称号を剥奪されてしまいます。Alexanderの土地はソビエト領に割り当てられ、Uzunashvili一家は仕事を失いました。それでも一家はくさらず、楽しみながら小さな土地でワインを造り続け、子供たちにブドウの木の育て方やワインの醸造方法を教え、その技術やノウハウは継承されていきました。

約70年続いたソビエト連邦の時代が終焉の時を迎え、まさに「新しい風」が吹き始めます。ジョージア(グルジア)とジョージアワインは21世紀初頭、ついに、いや再び多くの国々で注目されはじめたのです。

実はUzunashvili一家の子孫の1人がソビエト連邦時代でもワインを造り続けていました。このことがソビエト崩壊以降も技術と経験を伝承するきっかけとなり、昔ながらの伝統を素早く復活させる決定打となったのです。

ジョージアワインの継承者、Lado Uzunashvili(ラド・ウズナッシュヴィリ)。現在はオーストラリアを拠点とし、彼の技術は世界中に広まっています。フランス、モロッコ、イタリア、ウクライナ、そしてオーストラリアと共同プロジェクトを立ち上げた日本でさえも、ジョージア発のワイン造りのため技術研究が行われているのです。Lado UzunashviliはMUKADO WINESを創業し、受け継いだ伝統と技術を現代に甦らせています。「MUKADO」の名前の由来は、世界で最もワイン造りに向く地域の1つといわれる温帯気候地域「MUKUZANI」と、彼自身の名前である「LADO」という、2つの言葉を掛け合わせたものからきています。

MUKADO WINESは、これからも至高のワインを造り続け、先代たちから受け継いだ輝かしい栄光と最高の技術を世界にお届けしていきます。

翻訳:長崎洋二